嵐山来て食べ歩きとかしたけど、渡月橋、竹林やカフェは行ったけど他にもあるのかな。
なんか京都っぽいお寺や神社ってあるのかな。
穴場のお寺や歴史のあるエリアが知りたいな。
お寺って少し敷居高かったり、難しい印象があるけどふらっと入って大丈夫かな。
楽しみ方とか見どころとかあれば知りたいな。
おまかせください。
嵐山は魅力的なお寺がたくさんあります。
実は竹林を抜けた先に「嵯峨野」という歴史と美しさに魅了されること間違いなしのお寺や神社があります。
この記事を書いている僕は
京都観光歴3年以上、観光業で1500人以上の観光客の方と関わってきました。
現在も休日を生かして京都街歩きやサークルも運営しています。
こんな人におすすめの記事です
・世界遺産や文化財が好き
・穴場のスポットが知りたい
・人混みを避けたい
・京都らしい体験がしたい
【嵯峨嵐山】観光でオススメのお寺・神社10選
嵐山はかつて平安貴族の別荘地として栄え、和歌をはじめ平家物語や源氏物語の舞台となった景勝地に時を超えて残り続ける歴史的名所をご紹介していきます。
とはいえ嵐山はとても広いです。
ざっくり4つに分けると
・嵐山中心地
・中嵯峨エリア
・奥嵯峨エリア
・北嵯峨エリア
に分かれています。
歩くと結構大変なので、人力車を利用するか、レンタサイクルがおすすめです。
徒歩圏内|渡月橋〜竹林など
【天龍寺】特別名勝の庭園をもつ嵐山唯一の世界遺産
後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏によって建てられた特別名勝の庭園をもつ嵐山唯一の世界遺産。
・360度八方睨みの「雲龍図」
・大方丈と重要文化財「釈迦如来坐像」
天龍寺は、魅力が盛りだくさんのお寺です。
京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の寺院で、霊亀山とも呼ばれています。足利尊氏が創立し、夢窓疎石が初代住職です。本尊は釈迦三尊で、後醍醐天皇と足利尊氏のゆかりの禅寺として知られています。京都五山の第一位であり、ユネスコ世界遺産にも登録されています。
ちなみに昔はめちゃめちゃ大きくて、今の10倍の広さだったそうです。
平安時代に橘嘉智子が開いた檀林寺の跡地に建てられ、後嵯峨天皇と亀山天皇が離宮を営んだ場所を寺に改め、後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が建立するまでが創建の流れです。
その後、8度の大火に見舞われながらも再建され、豊臣秀吉や徳川家康から寄進された寺領で栄えました。しかし、8度も火災にあい、戦国時代の禁門の変では大きな被害を受けました。明治時代後半に再建され、現在は宮内庁が管理する亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵が隣接しています。また、寺には「天龍寺文書」と呼ばれる多くの文書が残されていますが、中世以来の文書は火災で失われ、近世の文書が主に残されています。
【野宮神社】縁結びで知られる黒木鳥居の美しい神社
縁結びや学問成就で多くの観光客が参拝に訪れる野宮神社。
源氏物語のゆかりの黒木鳥居と小柴垣は平安の記憶を今に伝え、嵯峨野の清らかな雰囲気が感じられます。
・源氏物語第十帖「賢木の巻」に登場する黒木鳥居と小柴垣
・念じて撫でると願いが叶う?神石(亀石)
野宮神社は、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が身を清める場所として建てられました。源氏物語「賢木の巻」にも描かれています。学問・恋愛成就・子宝安産などを祈願することができ、地域住民だけでなく観光客も多く訪れます。
野宮神社とは、伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向かう前に潔斎をする場所である「野宮」に由来する神社です。斎王は1年間清らかな場所で潔斎し、その後伊勢神宮での神事に臨みます。野宮の場所は毎回異なっていましたが、嵯峨天皇の代から現在の野宮神社の地に作られるようになりました。後に廃絶されましたが、後奈良天皇や中御門天皇により再興され、現在も皇室からの崇敬を受けています。
中嵯峨エリア
【二尊院】
小倉山の四季の彩りと千二百年の歴史を感じられる古刹
・大奥の撮影でも使われた「紅葉の馬場」
・3回撞いて幸福になれる「しあわせの鐘」
二尊院は、京都市右京区にある天台宗の寺院で、山号は小倉山、寺号は華台寺とも呼ばれます。本尊は釈迦如来と阿弥陀如来で、「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二尊が祀られています。(ご本尊のことを一尊、二尊と数えるそうです☝️)寺院の名前はこの二つの如来像に由来しています。
二尊院は「紅葉の馬場」と呼ばれる参道で知られており、紅葉の名所としても有名です。奥には、小倉百人一首の歌人、藤原定家が営んだと伝わる時雨亭跡があります。また、小倉あんの発祥の地としても知られています。
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 – 847年)に円仁(慈覚大師)によって建立されました。鎌倉時代初期には法然の高弟である第3世湛空らによって再興され、天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場となりました。特に浄土宗の勢力が強く、嵯峨門徒の拠点となりました。
3回撞くといいそうですよ^ ^
【清凉寺】嵯峨釈迦堂
かつて別荘地として平安貴族の優雅な暮らしが営まれ、国宝の釈迦如来を祀る浄土宗のお寺
・小堀遠州作と伝わる池泉式庭園
・2023年オープン!お寺の境内にオシャレなカフェ「Bhagavan」
清凉寺(せいりょうじ)は、京都市右京区にある浄土宗の寺院で、山号は五台山(ごだいさん)です。本尊は釈迦如来(生身の釈迦)で、開基は奝然、開山はその弟子の盛算(じょうさん)です。また、嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名でも知られています。
清凉寺は初め華厳宗として開かれ、その後天台宗、真言宗も兼ねました。室町時代からは融通念仏宗の道場として知られ、幕末までは愛宕山白雲寺(現在の愛宕神社)の山下別当寺でした。
清凉寺と棲霞寺の関係は密接で、それぞれの寺の歴史が交錯しています。
棲霞寺(せいかじ)は平安時代に源融の別荘「栖霞観(せいかかん)」の跡に創建されました。平安時代末期には棲霞寺に阿弥陀三尊像が安置され、阿弥陀堂が建立されました。これが後の清凉寺の始まりとなります。
清凉寺は宋から帰国した奝然(938年 – 1016年)によって建立されました。奝然は釈迦如来像を京都に安置しようとしましたが、様々な障害に遭い、一時は蓮台寺に釈迦像を移しました。その後、弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺に釈迦如来像を安置し、棲霞寺は五台山清凉寺と改称されました。その後、棲霞寺は融通念仏宗の道場として発展しました。
中世に入ると、棲霞寺で融通念仏を勤める円覚上人によって大念仏が盛んに行われるようになり、棲霞寺は融通念仏宗の道場となりました。嵯峨大念仏が初めて行われたのは、嘉吉3年(1443年)でした。
享禄3年(1530年)に円誉が清凉寺に入り、十二時の念仏を始めると、清凉寺は浄土宗の寺となりました。本堂は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって再建されましたが、寛永14年(1637年)の嵯峨大火で焼失しました。その後も伽藍の再建や本尊の出開帳が行われ、清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」として栄えました。
一方、棲霞寺は次第に衰退し、清凉寺に吸収されましたが、阿弥陀堂や阿弥陀三尊像など、その名残を今に留めています。
清凉寺の国宝である釈迦如来像は、北宋時代の雍熙2年(985年)に仏師張延皎と張延襲によって制作されました。像高160.0cmで、赤栴檀というインドの香木ではなく、中国産の魏氏桜桃(サクラ材)で造られています。
この釈迦如来像は、古代インドの優填王が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたとされる霊像を模刻したものです。奝然は、雍熙元年(984年)に開封(汴京)で優填王造立の釈迦像を拝し、翌雍熙2年(985年)に台州開元寺で本像を造らせました。
背板には仏師の名が刻まれており、背板が外れた際には北宋時代の貨幣などが発見され、国宝に指定されました。国宝に指定されている像内納入品には、造像に関する文書や奝然の遺品、仏教版画などが含まれています。特に注目されるのが内臓模型で、中国古来の五臓六腑説とは異なる点があります。これは世界最古の絹製模型であり、台州妙善寺の比丘尼清暁の風疾治療を祈願して納入されたものです。
また、奝然の遺品としては生誕仮名書付や手形を捺した文書なども発見されました。
【常寂光寺】
小倉山の中腹から京都市を一望できる絶景のお寺
・苔が美しい「末吉坂」
・紅葉に囲まれる秋の境内
常寂光寺は、京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に位置する日蓮宗の寺院です。山号は小倉山で、本尊は十界大曼荼羅です。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)です。
この寺院は、百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面に位置しており、境内からは嵯峨野を一望できます。境内の庭園には200余本のカエデが植えられており、秋には全山が紅葉に包まれます。
平安時代には、藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があったと伝わる地でした。
安土桃山時代末の文禄5年(1596年)、小笠原秀政の母で日野輝資の養女である延壽院が開基となり、日蓮宗大本山本圀寺第16世日禎が隠棲の地として当山を開きました。その際、常寂光土のような風情から、この寺には常寂光寺の寺号が付けられました。
この土地を寄進したのは歌人でもある日禎に、角倉了以とその従兄弟の角倉栄可でした。境内は第2世日韶(日野輝資の子)の時代に小早川秀秋らの助力を得て、整備が行われました。
【祇王寺】
平家物語の悲しい物語に想いを馳せ、美しい苔の庭に癒される
・「平家物語」祇王、祇女の悲哀の物語
・写真映え間違いなしの「虹の窓」
祇王寺は、右京区嵯峨にある真言宗大覚寺派の寺院で、大本山大覚寺の境外塔頭です。山号は高松山、院号は往生院で、本尊は大日如来です。この寺は美しい苔の庭で知られ、秋には紅葉が見事なことでも知られています。
この寺の起源は、法然の弟子である念仏房良鎮が創建した浄土宗の往生院にさかのぼります。現在の祇王寺が建っている場所は、元々往生院の旧跡でした。
『平家物語』や『源平盛衰記』によれば、白拍子の祇王(21歳)は平清盛の寵愛を受けていました。しかし、若い仏御前(17歳)が現れ、清盛の寵愛を奪ったことで祇王は清盛の邸を追われ、嵯峨の奥にある往生院に尼として隠棲することになりました。祇王は妹の祇女(19歳)や母の刀自(45歳)とともに尼となり、この地で念仏三昧の余生を送りました。
中世以降、往生院は衰退し、明治初年には廃寺となり荒れ果てました。しかし、大覚寺の管理の下、大覚寺門跡楠玉諦師の計画により、1895年(明治28年)、元京都府知事の北垣国道が茶室を寄進したことを契機に再建され、祇王寺として再興されました。祇王寺は大覚寺の境外塔頭として位置づけられました。
寺の再興に尽力した智照尼をはじめとする篤志家の努力により、再興の過程を経て祇王寺は栄え、本堂内には本尊の大日如来のほか、平清盛と四尼僧の木像が安置され、境内には清盛の供養塔と祇王姉妹らを合葬した宝篋印塔が建立されています。
奥嵯峨エリア
【化野念仏寺】
奥嵯峨に八千体の石仏。千灯供養の幻想的な夜
・独り占めの竹林
・湛慶作と伝わる阿弥陀如来
化野念仏寺は、京都市右京区嵯峨鳥居本化野町に位置する浄土宗の寺院です。山号は華西山で、本尊は阿弥陀如来です。化野は、東山の鳥辺野や洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地としても知られています。
伝承によれば、弘仁2年(811年)、空海が当地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬し、供養のために千体の石仏を埋め、五智山如来寺を建立したことがこの寺の始まりだとされています。その後、法然が念仏道場を開き、寺の名称も念仏寺となりました。
本尊の阿弥陀如来像は、寺伝によれば湛慶作とされていますが、実際の作者は不明です。本堂は江戸時代の正徳2年(1712年)に寂道によって再建されました。
明治30年代には、宗教奉仕団体である福田海の開祖である中山通幽師が、埋没していた無縁仏を掘り出して集めました。これらの無縁仏は釈尊宝塔説法を聴く人々の姿になぞらえて配列され、安置されました。その数は約八千体で、石仏と共に発掘された壺や古銭の時代考証によると、平安時代から江戸時代までのものが含まれています。無縁仏の霊にローソクが供えられる千灯供養は、地蔵盆の夕刻から行われます。
境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われています。
【愛宕念仏寺】
まるで異世界。嵐山の奥地に佇むタイムスリップしたような神秘的な念仏寺。
みどころ
・鎌倉中期建立、重要文化財の「本堂」
・本尊は「厄除千手観音」
愛宕念仏寺は、京都市右京区嵯峨にある天台宗の寺院です。山号は等覚山、本尊は厄除千手観音です。また、「千二百羅漢の寺」としても知られています。愛宕山愛宕神社参道の山麓の入り口に位置し、「嵯峨野めぐりの始発点」としても知られています。
寺の創建は天平神護2年(766年)で、称徳天皇によって京都の東山松原通に建てられました。寺名の由来は、山城国愛宕郡に初めて建てられた寺院だからだとされています。
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となり、その後荒れ寺となってしまいました。鴨川の洪水で堂宇を流失し、廃寺となった後、醍醐天皇の命によって天台宗の千観内供(伝燈大法師)によって復興されました。その後、千観が当寺で念仏を唱えていたことから、当寺は愛宕念仏寺と改称し、天台宗に属することになりました。
1922年(大正11年)には、本堂の保存のために現在地に移築・移転し、復興を図りましたが、太平洋戦争中に無住となり、1950年(昭和25年)のジェーン台風で大きな被害を受け、荒れ果ててしまい、ついに廃寺となりました。
1955年(昭和30年)、仏師で僧侶の西村公朝が天台宗本山延暦寺から当寺の再興を命じられ、住職に任じられました。境内の整備を行い、復興を進めてきました。1980年(昭和55年)には、10年がかりで仁王門の解体修理が始まり、境内の復興も本格化しました。1981年(昭和56年)からは、一般の参拝者が自ら羅漢像を彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始められ、約10年で1,200体に達しました。
北嵯峨エリア
大覚寺
嵯峨天皇の愛した日本最古の人工庭園を持つ旧嵯峨御所
・膝丸
・大沢池
大覚寺は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院で、山号は嵯峨山です。大覚寺は、不動明王を中心とする五大明王を本尊とし、開山は恒寂入道親王です。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院であり、後宇多法皇がここで院政を行い、日本の政治史に深く関わっています。また、嵯峨御流の総司所であることでも知られています。
歴史的には、平安時代初期に嵯峨天皇が離宮を営んでいた場所に、空海が五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建てたのが始まりです。その後、嵯峨天皇の信任を得た皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改め、大覚寺が建立されました。その後、後宇多天皇が出家して法皇となり、大覚寺を再興しました。この法皇は、伽藍の整備に尽力し、「中興の祖」と称されています。
大覚寺は南北朝時代に南朝方寺院でありながらも、後亀山天皇から後小松天皇へ「三種の神器」が引き継がれた場所として知られています。南北朝時代の南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも、大覚寺においてでした。
大覚寺は、応仁の乱や天文の乱などの戦乱や火災に何度も見舞われ、堂舎が焼失しましたが、その度に再興が行われました。現在でも、大覚寺の御所跡地は国の史跡に指定されており、その歴史的な重要性が認められています。
大覚寺の境内には、嵯峨天皇が造園したとされる日本最古の人工の庭池である大沢池があります。大沢池は、平安時代前期の名残をとどめる庭池で、日本の名勝に指定されています。また、大沢池には嵯峨天皇の離宮時代に設けられた名古曽の滝の跡もあります。名古曽の滝は、百済川成によって作庭され、平安時代末期には既に枯れていたとされています。
大沢池の外周は約1キロメートルあり、広さは約6万4000平方メートルで、甲子園球場がすっぽり入るほどの広さがあります。大覚寺の境内は、多くの作品の舞台としても知られ、特に時代劇の撮影が頻繁に行われています。
嵐山から電車でスグ
【車折神社】
多くのアーティストや俳優などの名前が刻まれる一風変わった芸能神社
みどころ
・あなたの好きな芸能人の名前があるかも?朱色に塗られた「玉垣」
・清原頼業
車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨朝日町にある神社で、旧社格は村社です。現在は神社本庁に属さない単立神社です。また、「車柝神社」とも表記されます。
この神社の祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)で、頼業は広澄流清原氏出身で、平安時代後期の著名な漢学者・儒学者でした。頼業は大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実から政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評されました。
車折神社の起源は、文治5年(1189年)に清原頼業が亡くなった後、頼業の廟が設けられ、後に頼業の院号にちなんで宝寿院という寺院が建立されたことにあります。宝寿院は清原家の菩提寺となり、その境内に頼業を祀る社が建てられました。社名の「車折」は、牛車に乗った人が社前を通った際に車が突然裂けてしまったこと、または後嵯峨天皇が大堰川遊幸の際に社前で車が前に進まなくなり、不思議に思って問い合わせたところ、頼業公を祀ると答えがあったため、還御の後に「車折大明神」と命名されたことに由来します。
室町時代には、天龍寺が建立され、宝寿院はその末寺となりました。江戸時代以降、頼業を祀る社が一般に信仰されるようになりました。
明治時代になると、神仏分離によって車折神社は宝寿院から独立しましたが、荒廃してしまいました。その後、文人画家で儒学者でもある富岡鉄斎が宮司として入り、神社を復興させました。
車折神社は近代社格制度で村社に列せられています。
お寺と神社の楽しみ方3つ
【あつめる】御朱印あつめ
御朱印帳は、お寺や神社でいただく御朱印を集めるための帳面です。参拝の証としていただける御朱印には、お寺や神社ごとに独自の紋様や文字が入っています。近年はそのデザインの面白さから、多くの人が趣味として楽しんでいます。
神社やお寺の神職や僧侶にお願いして、参拝した日時や神社仏閣の名前、そして「御宝印」という判子を御朱印帳に押していただきます。デザインも寺社ごとに異なり、シンプルなものからダイナミックなもの、カラフルな判子が押されたものまで様々です。
行く先々でいただいた御朱印を集めるのが楽しく、趣味として楽しんでいる人も増えています。御朱印は元々お経を書き写してお寺に納めた証であり、「納経の証」として使われていましたが、現在では神社仏閣でいただける「参拝の証」として広く認知されています。つまり、御朱印は神様や仏様と私たちを結ぶ、ご縁の証とも言えるのですね。
【かんじる】仏像・文化財で歴史を感じる
京都市の広隆寺に行ってきました。国宝第一号の半跏思惟像は、ずっと見ていられるほど魅力的でした。他の仏像も素晴らしかったです。 pic.twitter.com/ORj95gG3Ns
— 大岡拓也 (@takuyaooka) May 4, 2024
今朝歩いていたら、国宝の西本願寺唐門に遭遇。
— サカイ (@Kamizono_Reiwa) May 6, 2024
面白い街だな京都は。 pic.twitter.com/TW8DrMHC4V
【いやされる】美しい庭園でいやされる
京都は庭園が綺麗なお寺が満載です。
嵐山もお庭が綺麗なお寺の宝庫です☝️
ぜひ、お寺をただひたすらに眺める、ゆっくり時間が流れる、癒しの時間を作ってみていただくのも良いのではないでしょうか?
嵐山の庭園でいうと「天龍寺」「祇王寺」「清涼寺」「大覚寺」「宝筐院」はとても美しいお庭を有しています。
詩仙堂
— monpul@京都移住 (@monpulmonpul1) May 11, 2024
美しい庭園で人気の詩仙堂
徳川家康に仕えた武士が引退後に
隠居するために建てたらしい✨
隠居生活が素敵すぎる😌#京都 #詩仙堂 pic.twitter.com/Uxhl1RCAt3
まとめ
はい、というわけで今回は嵐山のオススメのお寺・神社をご紹介いたしました。
みどころを表にまとめたのでぜひ参照してくださいね^ ^
今回ご紹介できなかった素敵なお寺さんもまだまだありますので本当に奥が深いのが嵐山です。
ぜひお寺をたくさん巡って、癒されて、歴史を感じて、観光をより一層楽しんでいただけたらと思います。
天龍寺 | 曹源池庭園・雲龍図・釈迦如来坐像・弘源寺の長州藩士刀傷 |
野宮神社 | 黒木鳥居と小柴垣・苔庭・亀石(神石) |
二尊院 | 紅葉の馬場・釈迦如来と阿弥陀如来・しあわせの鐘 |
清涼寺 | 国宝の釈迦如来立像・桂昌院寄進の宝物・小堀遠州作と伝わる庭園 |
常寂光寺 | 京都市中が見渡せる絶景・美しい紅葉・苔の美しい末吉坂 |
祇王寺 | 苔と新緑の庭・「平家物語」祇王、祇女の悲哀の物語・虹の窓 |
化野念仏寺 | 八千体の石仏・人の少ない竹林・湛慶作と伝わる阿弥陀如来 |
愛宕念仏寺 | 1,200体の「羅漢像」・鎌倉中期建立の「本堂」・本尊「厄除千手観音」 |
大覚寺 | 勅封心経殿・重要文化財の太刀「膝丸」・日本最古の人工池「大沢池」 |
車折神社 | 芸能神社・玉垣・清原頼業公のご学徳(学業成就・金運・恋愛・芸能)のご利益 |
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